2015 12/29 DAISY LOO というバンドについて / 東阪大合唱
東京でのライブを終えて帰りのバスを探すが取れず。
DAISY LOOの最後のライブを諦めようと思ったのだけど、東京から名古屋へのバスが1万円を超えた事で新幹線に乗る決心がついた。
そうだよ僕は貧乏なんだよ。仕事もねえからな。まあそんなことはどうでもいい。
満員の新幹線で名古屋まで帰って、名古屋から鈍行乗り継ぎで京都に帰って、荷物置いてすぐに大阪へ。
Pangeaに着いたのはderonderonderonの終わりあたり。聞けばこの日は新曲をやったらしいじゃないか。クソウ。
Helsinki Lambda Clubを初めて見た。
2年前にMASH A&Rで残っているのを見て、すぐに”ユアンと踊れ”を聴いて惚れた。
ライブは想像してたよりもグッと来た。”TVHBD”もキラーチューンだなと思うけどそれよりも”メリールウ”のほうが僕は好きだ。
DAISY LOOを観るのはこれで最後か、なんてずっと解散発表されてからこの日のことを考えていたし、きっと泣いてしまうだろうと思っていたけど、結局最後の最後まで僕は泣かなかった。きっと未だに気持ちの整理がついていないのだろう。
太田くんに出会ったのはDAISY LOOの前のバンド、The Pantrysの頃。
その頃のメンバーはニシカズしか残っていないし、最初はニシカズも居なかった。
それまで打ち上げで誰かと話すものの、仲良くなる、なんてことはなく、その場限りのなんの実りもない打ち上げばかりしていたし、ライブハウスの人にバンド内部の愚痴ばかりを聞いてもらうだけに終始した日だってあった。
高校の頃やっていたバンドの友達はコピーバンドからほとんど抜けださずにある友達はバンドを辞め、ある友達は大学のサークルに明け暮れ、高校の友達はほとんどいなくなった。
その頃の僕たちは京都MOJO以外は本当に孤立無援だった。アンケートには死ぬほど辛辣な言葉が並んでいた。
そんな中、ある日突然The Pantrysからメンバーの誕生日パーティーのお誘いを受けた。
対バンしたなかで全く仲良くなれなかったのだけど、何故かこの日に僕たちを呼んでくれた。
スタジオもあった僕たちは、僕とダケと2人でこのパーティーに参加した。
三条あたりにあるモダンタイムスというとてもおしゃれなライブハウスで、当時のドラムとベースの誕生日に僕は一曲弾き語りをした。
この日に出会ったのはフレデリックだったり、ただのビギナーだった僕には刺激的な数時間だった。
そして神戸VARITでのワンマンを観に行く。
この時に神戸へ呼んでくれなければ、僕たちが京都の外に出るのはもう少し遅かったんじゃないかな。
神戸には今よりももっともっと無名の僕たちを知ってくれている人たちが数人いた。それがとても嬉しかった。自分の声が嫌いだった僕はこの場所でとても救われたことを覚えてる。
京都MUSEで対バンもした。他の対バンには目をくれずにThe Pantrysと仲良くなった。
戦艦モージョ2というコンピレーションにも一緒に収録されてレコ発も出た。
その後藁科と谷くんを迎えてDAISY LOOという名前になった。
初期メンバーのギターとドラムは5th CLUBというバンドになった。このバンドもとても好きで、でも一瞬で解散してしまった、音源の一枚も残さずに。でも未だに口ずさめる。大好きだった。
現THE BOSSSのちひろと夜ダンちょねの企画で京都VS神戸で一緒に神戸と京都で対バンもした。
神戸勢はちひろ率いる倅 on the union city、愛はズボーン、プププランド、DAISY LOO。京都勢は夜の本気ダンス、THEロック大臣ズ、僕たちTequeolo Caliqueolo。未だに交流あるバンドばっかりだ。
数え切れないほど一緒にライブをした。ファジーロジックのファジコレ大阪も一緒にでたし、2015年はピンキョロデイピーズやリコキョロデイピーズもあったし、DAISY LOOのリリースツアー東京でDENIMSと愛はズボーンと夜行性のドビュッシーズと一緒にBASEMENT BARへも行った。
自主企画をあまりやらない僕たちがgossip boysという企画をやった。VOXhallにDAISY LOOを呼んだ。その日はたしかQOOLANDとNoise and milkと一緒に。
そして今年は僕たちのリリースツアー初日にも出てくれた。そのライブも本当にいいライブで出番前なのに歌いすぎて声が枯れる寸前だった。僕の馬鹿野郎。
つい先日のことのように感じる福岡での僕たちのリリースツアーも。
対バンじゃなくても観に行ったこともたくさんだ。DENIMSとの共同企画、まめぽよのDOORS(はDAISY LOOに間に合わなかったっけ)、herberのレコ発、DAISY LOOのリリースツアーファイナルのワンマン。
ここには書ききれないほどの思い出があるのだ、DAISY LOOには。
そしてそれだけの時間と音楽を作ってきたバンドだから、僕だけが感傷に浸っているわけではない、っていうのは分かっている。けれどやっぱり大きいよ、DAISY LOOの不在は。
バンドは青春そのものだといつかのくるりのインタビューで読んだことがある。僕はその言葉にとても感銘を受けた。
そしてバンドが解散する、ということは死ぬということだ。
Baa Baa Blacksheepsの神部砂漠さんがそうブログに書いていた。僕もそう思う。
DAISY LOOは青春を終わらせることを決めたんだ、と僕は思っている。
終わることを決めることはとても勇気がいる。続けることは曖昧なままでも出来る。現にそういうバンドはたくさんいる。
この決断を喜べる訳はないけれど、バンドとして誠実なものだったと今は思う。
最後のライブはとても素晴らしいものだった。
この日にやってくれた”装飾を施すならば”きっとこれを聴けるのは最後なんだ、と思うといてもたってもいられなくなった。
解散が決まったあとのライブは、それまでのDAISY LOOのライブの数倍良くなった。これで本当に終わっていくのだろうか、って。
それでも本当に終わってしまった。DAISY LOOは4枚のシングルと1枚のアルバムだけ残してくれた。僕だけの価値観でものを言うならば、きっとこれらは風化しない。
僕がクソジジイになってこの頃を懐かしむようになったとしても、この曲の持つ力は古びたりはしない。
DAISY LOOお疲れ様。本当にたくさんのドラマをありがとう。
太田雄哉、僕はライブハウスで待ってます。だって僕たちズッ友ですからね。